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笑いと感動のまちづくりとは?

まちの活性化は笑いと感動で

岐阜生まれの古典落語の祖、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)。説法の名手で、さまざまな滑稽話・人情話を集めた「醒睡笑(せいすいしょう)」を著し、落語の祖と言われています。その策伝和尚は本市の出身、現在の岐阜市三輪にある淨音寺にて出家し、後には住職となりました。一時は岐阜市西荘にある立政寺にも住し、岐阜市にはとてもゆかりの深い人物なのです。

岐阜市は、生活を豊かに見直しスローライフの似合う都市・スローライフシティ岐阜、日本一元気な県都・岐阜を目指してさまざまな施策を進めています。「笑いと感動のまちづくり事業」は、笑いと感動によって人と街を元気にしていく岐阜市の新たな取り組みです。

策伝和尚をシンボルキャラクターとして開催される「全日本学生落語選手権・策伝大賞」は、「笑いと感動のまちづくり事業」のシンボルイベントとなります。

“策伝大賞”は日本の伝統ある話芸文化の代表・落語の発展と、その次代の担い手となる学生達の育成と交流の場になることを目指しています。全国から学生達が“笑い”をキーワードとして岐阜市に集結、あふれる情熱と若さを輝かせて、“笑い”の新たなるメッセージを全国に発進していきます。

“笑い”は人間の免疫力をになうリンパ球の一つNK細胞を活性化させ、人を元気に街も元気にしていくでしょう。

ともすれば無表情・無感動といわれる現代人の活力を呼び起こすとともに、かつては芸どころと言われた岐阜の再生に“笑いと感動”が大きな力となるでしょう。また、テレビなどで日々消費されていく笑いに対して、会場でゆっくりじっくり味わうスローな笑いを楽しむことで、岐阜市のシンボル・長良川の鵜飼とともにスローライフを体感するものとなります。

安楽庵策伝さん

岐阜市には、古典落語の祖と呼ばれる「安楽庵策伝」ゆかりのお寺・淨音寺(じょうおんじ)があります。

安楽庵策伝は1554年に現在の岐阜市山県に生まれ、美濃国淨音寺(岐阜市三輪)にて出家、その後上洛して修行をし、西国にて布教活動、幾つかのお寺を建立・復興した後、淨音寺の25世住職として再び岐阜の地で過ごされます。

そして、京都新京極・誓願寺(せいがんじ)の55世(せい)法主(ほっす)となり、89歳で大往生されました。安楽庵策伝は岐阜出身の古田織部と同時代を生き、策伝の茶の師匠は織部と言われています。そして、安楽庵流茶道を生み出しました。また、小堀遠州とは同じように椿を愛するということで交流があり、百(ひゃく)椿集(ちんしゅう)を描くことになります。誓願寺時代のことでした。

 そして、策伝和尚は1615年頃から説話集「醒睡笑(せいすいしょう)」の執筆にかかります。「醒睡笑」は、我が国の落語の基となった噺集です。策伝和尚は、マンダラ説法の達人で、字の読めない人たちにも、おもしろおかしく仏の道を教え、最後に“話の落ち”を使うというその手法から、古典落語の祖と呼ばれるようになりました。

安楽庵策伝年表

1554(天文23)年 金森定近(土岐可頼)の子として、現在の岐阜市山県で生まれる。
兄は、飛騨高山城主・金森長近。
1560(永禄3)年 7歳、美濃国淨音寺にて出家。
1567(永禄7)年 11歳、京都・東山禅林寺にて修行。
1578(天正6)年 25歳、山陽地方へと布教の旅にでる。
1596(慶長元)年 43歳、美濃国淨音寺の25世住職となる。
1609(慶長14)年 56歳、美濃国立政寺(りゅうしょうじ)を預かる。
1613(慶長18)年 60歳、京都新京極大本山誓願寺55世法主となる。
1615(慶長20)年 62歳、「醒睡笑」の執筆を始める。
1623(元和9)年 70歳、「醒睡笑」完成(全8巻)
京都・新京極誓願寺、塔頭(たっちゅう)竹林院に隠居。
茶室「安楽庵」にて余生を送る。
1642(寛永19)年 89歳、京都にて亡くなる。