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岐阜生まれの落語の祖


 岐阜市には、古典落語の祖と呼ばれる「安楽庵策伝」ゆかりのお寺・淨音寺(じょうおんじ)があります。
 安楽庵策伝は1554年に現在の岐阜市山県に生まれ、美濃国淨音寺(岐阜市三輪)にて出家、その後上洛して修行をし、西国にて布教活動、幾つかのお寺を建立・復興した後、淨音寺の25世住職として再び岐阜の地で過ごされます。
 そして、京都新京極・誓願寺(せいがんじ)の55世(せい)法主(ほっす)となり、89歳で大往生されました。
 安楽庵策伝は岐阜出身の古田織部と同時代を生き、策伝の茶の師匠は織部と言われています。そして、安楽庵流茶道を生み出しました。
 また、小堀遠州とは同じように椿を愛するということで交流があり、百(ひゃく)椿集(ちんしゅう)を描くことになります。誓願寺時代のことでした。
 そして、策伝和尚は1615年頃から説話集「醒睡笑(せいすいしょう)」の執筆にかかります。「醒睡笑」は、我が国の落語の基となった噺集です。
 策伝和尚は、マンダラ説法の達人で、字の読めない人たちにも、おもしろおかしく仏の道を教え、最後に“話の落ち”を使うというその手法から、古典落語の祖と呼ばれるようになりました。
 

安楽庵策伝年表

1554(天文23)年 金森定近(土岐可頼)の子として、
現在の岐阜市山県で生まれる。
兄は、飛騨高山城主・金森長近
1560(永禄3)年 7歳、美濃国淨音寺にて出家。
1567(永禄7)年 11歳、京都・東山禅林寺にて修行。
1578(天正6)年 25歳、山陽地方へと布教の旅にでる。
1596(慶長元)年 43歳、美濃国淨音寺の25世住職となる。
1609(慶長14)年 56歳、美濃国立政寺(りゅうしょうじ)を預かる。
1613(慶長18)年 60歳、京都新京極大本山誓願寺55世法主となる。
1615(慶長20)年 62歳、「醒睡笑」の執筆を始める。
1623(元和9)年 70歳、「醒睡笑」完成(全8巻)
京都・新京極誓願寺、塔頭(たっちゅう)竹林院に隠居。
茶室「安楽庵」にて余生を送る。
1642(寛永19)年 89歳、京都にて亡くなる。